君になれ

ふわっとした社会人の日常を綴るブログ

オワリはじまり、小さな覚悟

 

f:id:n7smr:20180624234548j:plain

自分の思うことを書き残す。

今と未来の自分のために。

 

 

そういうコンセプトで始めたこのブログ

書き始めて良かったと思える今。

 

 

大切なことをしっかりと見つめる時間として

やっぱり今日はここに残すことにした。

 

 

ぴんぽんぱんぽん

ぴんぽんぱんぽん

この合図が届き、誕生日をむかえた。

23度目の自分の節目の日。

毎年のことながら、やはり周りの人に感謝する時間だった。

この場を借りてありがとうを改めて。

 

 

自分が今過ごしてる23年の人生はまだまだ先の見えない

何かとはじまりだらけの時間。

もちろんオワリもあるけれど、きっとまだまだ割合は少ない。

 

 

出会いの裏には別れがあるように

物事には反対側に繋がるものがある。

 

そんな風に

「はじまり」の裏側には「オワリ」があって

「オワリ」の裏側には「はじまり」がある

 

 

ほんと上手いこと成り立つようにできてる。

 

 

そんな今、

「オワリ」と「はじまり」それぞれを感じ

小さな覚悟をしてる最中。

 

f:id:n7smr:20180624234619j:plain

 

いつまで経っても慣れないのは

生と死が関わる別れというもの。

この先もきっと慣れることはないだろう。

 

 

余命。

 

 

あとどれくらい生きられるか。

 

 

 

大好きな祖父の余命を知った。

これもまた受け入れるべき大事な節目の合図だろう。

幸か不幸か、連絡を貰う前に気づいた。

 

 

残りの時間、自分は何ができるだろうか?

数か月前から考えてはいたけれど

思っていたよりもずっと時間はないようだ。

 

「次帰ったらこれしようね」

 

最近は祖父母の家に行くと何か1つ約束を残して来るようにしてた。

そしてその約束を守るって決めてた。

 

その約束は何てことのない日常の一部でも

楽しみに待っていてくれるから。

前より表情の変化も言葉数も少なくなった祖父母に

できることを毎回模索してた。

 

写真を撮る、美味しいものを食べる、

何より顔を見て話すことを1番大切にしてた。

 

 

いざ、あと残りの時間がはっきりした今

自分に出来ることはと考えても考えは固まらない。

ただ、きっとこれまで通りのことを続けるしかないだろうと思う。

 

 

会いに行ける時はほんの少しでも会って顔を見せる。

話をする。傍にいる。

 

 

ちっぽけだなぁと思うけど

後悔のないようにできることをする。

 

 

 

おじいちゃんのおっきな優しい手とか、

姉の呼び方はなっちゃんなのに

なぜか私はナナって呼ばれることとか

おにぎりの握り方はおじいちゃん譲りなこととか

考えるほどいろんなことを思い出していく。

 

 

作業着と青い帽子で力仕事をするのが何より似合うおじいちゃんの存在は

自分には大きすぎて。全然整理できんや。

 

 

 

ただ1つ、漠然と思ったことは今の進路を選んだことに

間違いはなかったということ。

何かあった時、会いに行ける距離 。

ものすごく大切なことな気がした。

 

そう思えてよかった。

 

f:id:n7smr:20180624234703j:plain

 

2018.6.24 maru

それは、6月病ですね。

f:id:n7smr:20180614231523j:plain

それ、今日の帰り道わたし自身も思ってた。

っていう友達との会話

 

「今日とあともう1日分頑張れそうな、元気の出る言葉をください。」

お世話になってる方に初めてそんな連絡をした。

 

文字を打ちながら思った。

あらこれ、世で言う5月病が1ヶ月遅れで来たかなって。そう言えばしばらくこういう感情なかったなぁと。

 

 マイナスに引っ張られるのはなるべく避けたかったんだろうなぁ。

 

4月と5月は俗にいう繁忙期というやつで

気を休める暇も悩んでる暇なんてものもなく時間が過ぎ去った。

我慢をしてたというよりか、そんな時間をただ前向きに過ごしてた。

壁にぶつかる毎日でも、悩んでる時間もないからその日ないしは次の日には出来るようになるってくらいのスピード感で生活してた。

 

そんな生活を1ヶ月ほどしてたら

いつの間にやら集団の中の自分の立ち位置みたいなのが変わってた。

"しっかりした人"っていう自分にはあまり馴染みのない括りの人になってた。人間、必要に迫られたら苦手なことでもできるもんなんですねって感じだった。

 

「成長スピード3倍」

入社時に言われたこと、最初の1ヶ月で実感した。笑

良くも悪くも責任感だけはいっちょ前に持ってるもんだから、もはや目の前のことやるしかないって腹くくってた。ただ、素直に聞けるくらい上司はすごい人たちだってのも頑張れた理由の1つ。

 

目まぐるしく過ぎていった研修の最終日は

プレゼンとロープレの大会。集大成というやつ。

全部トップバッターで結果を残すことへのプレッシャーは結構感じてた。笑 だからGWの休暇も楽しんだけど、正直気は抜けなかった。

 

すべてが終わって緊張の糸も解けて

1番認めてほしい人に嬉しい言葉をもらって

終わったことへの安心感と嬉しさが一気に来て皆が帰ってからその場で本気で嬉し泣いた。

この日の自分は、自分史上トップクラスでかっこよかった。 たまにはこれくらいほめるのも大事かなと。

 

―――――――

現場に出て1ヶ月とちょっと。

思った以上にバリバリと働いた。

予想外の成果にやはり日々成長痛。

社会人になって、まだ2ヶ月のこととは思えないくらい色濃く残る時間。

 

 

結局スピードをあまり緩めることなく6月になってた。

その中で幸せとか楽しさみたいなものも味わった。

仕事でもプライベートでも。

 

考え方のベースが幸せのベースになっていった。

 

たぶん今の日常にある苦しさとかがこれまで味わったものより全然知れてて、まぁ大丈夫さみたいな精神になってた。とりあえず冷静に受け止めてみてた。

 

 

そしてふと、6月病に気づいた今日。

普通に笑えるけど全然気持ちが上がらん日やった。

 

 

友達に1時間だけ泣いて吐き出す時間もらった。

思ったよりしんどいことも悔しいこともあってたみたい。ただその時間だけで復活したからまたちょっと強くなった。

 

 

みんなそれぞれに好き勝手なこと言う。

 

笑ってろって言う人もいれば、弱さを出せって人もいる

しっかりした人って言う人もいればポンコツとも言われる

周りを気にしすぎとか、もっと気にしろとか

これが好きとか嫌いとか

理想ばっかぶつけられてもさ!って感じな場面は結構あった気がする。笑

 

毎日難しいお題を貰いながらぶつかったりすり抜けたりしてたんだなぁと文字を打ちながら思った。

きっと自分も同じように毎日誰かにお題をふってんだろうな。

今度今日のLINE見返したら面白そう。ただ、その状況に対して何も言わなかったわけではなく、素直に思ったことは言ってきたつもり。結果受けてないつもりでいたダメージをわりと見えないとこで受けてたってだけの話。

 

 

結局は自分が何を選択するかで、どう行動するか。

どんな自分であろうとするか。

結局はまたそこに一度立ち返る。

 

 

でも前の時より状況いいじゃん。

私をよく知る友達は言う。

 

そう言われればたしかに。

 

土日のためにとりあえずはもう1日。

仕事は仕事、オフィスを出るまで集中。

一歩外に出たらもう好きなことを考える時間。

 

仕事とプライベートはある程度分けたい。

真面目さ5割。不真面目さ5割。

 しっかりとポンコツの割合は6.4くらいがちょうどいい。

これが今の私。

 

2018.6.14 maru

 f:id:n7smr:20180614231344j:plain

人を強くさせる出会い

 

f:id:n7smr:20180521215246j:plain

「出会いは人を強くも弱くもさせる」

ある本にあった言葉。

 

 

今は、強くさせる出会いというか、

強くなれる出会いをたくさんしてるなと思う。

 

 

そりゃ良いことだけが起こるわけじゃないんだけど、

最近毎日、今日もいい日だった!

って1日を終えるような暮らしをしてる。

 

やりたくないこともあるし、

きついことももちろんある。

 

でも、そこをどうにかこうにか頑張ってみる。

 

そしたらそれができるようになって

身についてきて、気づけば力と自信に変わってる。

 

そんな毎日。

 

"働く"って漠然としてて未だわからないことだらけだけど

たぶん、意外と悪いもんじゃない。

 

そう思わせてくれるような大人たちに出会えたのは、きっと1つの大きな出会い。

 

 

―――――――

 

休日は、休日。

 

大学の時には味わえなかったような

休日の特別感ってものが最近はある。

 

 

自由な時間は前より少し減ったかもしれない。

 

ただ、価値ある時間は増えた気がする。

金曜日、オフィスを出たらお休みの合図。

 

いわゆる華金ってやつもちょっと経験した。

今の会社に入ってよかったことの1つに

社外同期っていう存在ができたことがある。

 

また面白い出会いがここにもあって

夢 とか 価値観 とか

広がっていくのがわかった。

 

 

この2つの出会いは、

自分を強くさせる出会いな気がしてる。

 

―――――――

 

 

 

「人は人によって磨かれる」とか

「経験で人は磨かれる」とか

 

似たような言葉で溢れてるけど、

結構そのとおりだなぁと思ってしまう。

 

 

昨日、大好きな友達と電話してた。

もうすぐ出会って3年になるって話をしながら、思い出話とか、お互いの最近の話をした。

 

 

なつかしさで溢れる話をしながら

互いに良い方向に歩めてるってわかって

たまらなく幸せな気持ちになった。

 

 

友達は仕事を変えて九州に戻ってくるらしく、会える機会が増えることに嬉しさが溢れた。

 

「嬉しい」「楽しい」「幸せ」

そういう感情を思いっきり出せる相手だから、包み隠さず言葉にした。

 

最近笑いすぎだけんそろそろ小顔になりそうやわどうしよう?

とか、言いながら楽しい時間を過ごしてる。

 

 

 

 これからもそんな人との出会いや時間、関りを大事にしたいと思う。

そんな社会人生活、約2ヶ月。

 

f:id:n7smr:20180521215323j:plain

 

2018.5.21 maru

 

I know.

 

f:id:n7smr:20180415213709j:plain

「大丈夫、わかってるよ」

 

って言えるくらいには大きくなったかね。

 

母との今日の会話。

 

 

私の根っこは両親と幼稚園の教育からできてる

そう思った今週末。

 

大体ブログを書きたくなるのは

実家に帰省をした後

福岡に戻る新幹線は、

やけにいろいろ浮かぶ。

 

 

今回の帰省の目的は法事への参加。

だから、あまり期待もしてなかった。

 

金曜日の仕事終わりに最終の新幹線に乗り

座布団準備とか、お茶準備、誘導とか、

なるべくサポートできるように動く。

それくらいの頭で帰った。

 

 

でも、思った以上に興味深くて面白かった。

 

今回の1番のお土産は

「学ぶこと、教育」について

以前の自分にはわからなかったことが

少しわかるようになって、

理解できるようになって、

「あ、面白い」

と思える時間を過ごした。

 

 

働き始めるまでは、自分が教育に関わるとは正直微塵も思っていなかったし、

教育に関して思い入れも興味もあまりないと思っていた。

 

 

法事に来てくださった方たちを玄関で迎え

「本日はありがとうございます。」

1人1人に伝えては家の中に入ってもらう。

 

最後にお寺さんが来られた。

我が家がお世話になってるお寺さんは、

私の通っていた幼稚園の園長先生。

 

だから私の中では、お寺さんというより

"園長先生"という存在の人と数年ぶりに再会した。

 

 

園長先生は、本当にいつも良い表情をされている。

顔を見ただけで安心してしまうような

あったかくて優しい人柄が滲み出ている。

 

昨日は、玄関口で挨拶をしてすぐに

私と母に1冊ずつ本を下さった。

多くを語らず「良かったら読んでみて」と。

 

私と母はきょとんとしてそれぞれが貰った本を見る。

そしてひとこと言葉を交わす。

 

「なんか、やっぱり園長先生すごいよねぇ。」

 

f:id:n7smr:20180415213739j:plain

 

何年も会ってないのに、なぜわかるのだろう。

自分の手にある本を見つめてそう感じた。

 

 

母に贈られた本は、言葉のない犬の絵本。

鉛筆の線のみで描かれた少し荒々しいタッチの犬。

それだけなのに、感情が伝わってくる不思議な本。

 

 

私に贈られた本は、相手と自分を知るための本。

子どもとあなたの伸ばし方説明書。

今自分が研修で学んでいる内容と重なる。

そして私がいま特に興味を持っている分野。

 

 

…いやぁ、すごいや。

 

 

園長先生の園児への接し方は

個性を認め、自由にのびのびと、という感じ。

 

 

泣きながら幼稚園に来る子どもを心配する親御さんに

「泣きながら幼稚園来たってええんよ。大丈夫。

泣かん子がええ子?泣く子は悪い子かね?」

 

そう伝えるのだそう。

 

 

幼稚園で英語を学ばせたいという親御さんがいる

「うーん、そうね。でも幼稚園で学べることは他にもたくさんたくさんあるよ?」

 

そう伝えてみるのだそう。

 

 

あれは良い、これはダメ

そう伝えるのではなく

 

考える時間をくれる接し方を先生はしてくれる。

 親にも、子にも。

 

そんな人のもとで育った時間は

きっと私の根っこを作ってる。

いまそれが大きな根っこになって

しっかりと地に立てている、そんな気がした。

 

 

法事のお礼にお寺にご挨拶に行った帰り際

どうしても伝えたくて、園長先生に言った。

 

 

『この幼稚園で園長先生に育てて頂いたおかげで、私の強みは好奇心だと言えるようになりました。

福岡に出て、だいぶ強くなりました。そんな福岡で人にしかできない教育の分野でAIに負けない仕事をしてきます。』

 

 

身近な人にそうはっきりとしっかりした声で言えたのは、きっと園長先生が初めてだ。

 

園長先生は、満面の笑みで握手をして下さって

『そうか、いっぱい学んでおいで』

そう言って送り出してくれた。

 

 

ああ、やっと言えた。

 

って思った自分が居た。

 

 

否定されるのが怖かったから

はっきりと口に出せなかった言葉を

伝える場所をくれた先生を尊敬してるし

 

あーかっこいいな。

そんな大人になりたいなと思った。

 

 

そういえば社会人2週間の、ふとした日常の一時。

 

 

2018.4.15 maru

Time waits for no one.

f:id:n7smr:20180407141303j:plain

「Time waits for no one.」

.

.

.

時間は有限、有限だからこそできることがある。

以前友人から教わったこと。

 

頭ではわかっていながらも、

時折そのことを忘れそうになる時がある。

 

だから考える時間が出来た時、ここに立ち返る。

 

そうだった、また意識していこう。

今の自分に出来ることは何なのか。と。

 

 

時間は誰のことも待ってはくれない。

ただ時折、時間に助けられることがある。

時間が解決の糸口になることもある。

 

 

何ともクールな奴だ。笑

"ありがとう" とたまに言いたくなる。

 

f:id:n7smr:20180407141329j:plain

「あんなこともあったね」

「あの時よりかは強くなったよね」

 

そんな話が出来るのは、

時間が良い感じのスピード感で

クールに去って行くからだろう。

 

 

まだ生きてきたのはたった22年。

されど22年。

 

 

働き始めて感じる、時間の存在。

 

もちろん良いことばかりではないけれど

今現在に活かせることがたくさんあるのは

止まることを知らない時間と共に、

歩く足を止めなかったからだろう。

 

 

ひたすらクールでたまに優しい「時間」という存在。

与えてもらった「自分の時間」を大事にしよう。

 

そう感じたここ1ヶ月。

f:id:n7smr:20180407141439j:plain

 

2018.04.07 maru

手紙を書くことが、ただ好きで

f:id:n7smr:20180331231106j:plain

 

 

幼い頃から、自分の根っこの気持ちを表す手段はいつも書くことだった。

 

そのことに気づいたのは大学に入ってからのこと。

 

気づけば学習机の上の透明なシートは落書きだらけ。遠目に見たら黒さが目立つほど。

絵を描いたり、文字を書いたり。

そういえばそんな光景は当たり前だった。

 

 

人間がアナログだから、パソコンで打った整った文字よりも手書きをするのが好き。その人その人の人柄が表れる手書きの文字をもらうのも好き。

 

 

中でも手紙を書く文化が好き。

春夏秋冬の季節ごとに挨拶をしたり、過去の話、これからの話。手紙は日々を記録する特別なものだと思う。

 

 

今回の卒業にあたって数人に手紙を書いた。

書きたいって思ったら書かずに居られないたちだから、時間をかけて1つずつ。便箋とか封筒とかその人に合わせて選ぶ時間もまた好き。書きながら思い出に浸る時間も結構好き。

 

 

 

郵便で送る、カバンの中にそっと入れる、机の上にそっと置く。渡し方も中身もバラバラだけど、大切な人たちに手紙を届けた。今の自分の思うことをまた記録した。

 

 

日ごろ面と向かって話そうとしても、なかなか話せないことを手紙は届けるきっかけをくれる。

 

 

やっぱり、手紙を書くことが、ただ好き。

これからも節目で手紙を書くことは続けたい。

 

そう思った今日という日。

 

 

 

2018.3.31 maru f:id:n7smr:20180331230826j:plain

ぺらっぺらの紙で良い

f:id:n7smr:20180318165842j:plain

 

こう言っていた時のことを思い出した。

 

1年前くらい。

 

私は、強い人の紙になると言っていた。

 

 

ここで言う強い人とは、チームや組織の中でいうリーダーや代表だったり、絶対的な人のこと。

 

強い人というよりは、

人を引っ張り支える立場である故に

強く在らないといけない人ともいえる。

 

 

そんな風に、いつもタフで

居て当たり前に思われるような人でも

弱音を吐きたいときや、折れそうなときだってあると知っていたから

そんな人たちのピンチに気づけるように

ペラペラの紙だとしても支えられるように。

 

 

そんなことを考えていた。

 

 

今思えば綺麗ごとかも知れないし、

余計なお世話だったかも知れないけど

当時はそれが自分にできることだと思っていた。

 

 

だから、今となって

この時のことを思い出すきっかけをもらって少し嬉しかった。

 

 

"福岡に来たら会いたい人"と言ってもらえること

 

顔見たら元気出たと言ってもらえること

 

 

そういうのめちゃくちゃ嬉しい。

 

 

波があるし、そう在れない時も多いけど

それでも身近な大切な人たちの

何かしらのちから、笑顔の理由になれたらいいなと思う。

 

 

そんな日常。

f:id:n7smr:20180318170100j:plain

 

 

2018.3.18 maru