君になれ

ふわっとした社会人の日常を綴るブログ

I often say soso.

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"Do you like it?"

電車で偶然出会ったアメリカ人の女性に尋ねられた。

その人は、アメリカと日本を行き来して働くような心理学者をしているとのこと。

 

 

 it が指すものは、生活する上で結構大事なものだった。

 

 

そこで私が数秒かけて絞り出した言葉は、

"unnnnn...soso. " 

 

 

少し情けなくて、恥ずかしい気持ちになった。

 

―――――――

 

 

中学校の時、英語の授業が始まるタイミングで

毎回その日の気分を尋ねる先生が居た。

 

 

"good? bad? soso?"

 

 

ある人はGood!と元気よく答える。

と思えば、ある人はI’m very very bad.と答える人も居た。

 

 

その当時の私はお察しの通り、毎回のようにsosoだった。

 

 

可もなく不可もなく、好きでも嫌いでもなく、まあまあな毎日だったのか

もしくは、人と変わった発言をするのが嫌で当たり障りなく言ってたのか

私のことだから、たぶんそんな感じだったんだろう。

 

 

今になっても良く使うけど、

便利で使いやすい言葉だけど、なんとも味気ない言葉だなと思う。

 

 

―――――――

 

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なんでこんなことを書くのかというと、

"自分の価値観"に気づかされる場面が最近多かったから。

 

 

正直今まで 価値観 と言われてもそこまでピンと来なかった。

なんか自分の中の根付いたものなのかなぁって程度で

あからさまに自分と違うなって人とくらいしか比べたことがなかった。

 

 

でも、意外とはっきり

「好きなものと嫌いなもの」だとか「私はこうしたい」だとか

普段表にはあまり出ずとも、持ってるんだなぁと思った。

 

 

そういう気づきを与えてくれるのは、

過去にちょっと真面目な話をしてきた人たち。

 

 

未だに会うと、ついさっきまで相当しょうもない話してたのに

途端にお互いスイッチが入って真面目な話をすることがある。

 

 

働き出してから、ごはんとか楽しく出かける時にまで真面目な話したくないと思って若干避けてたところがあるけど、大事だなぁって思った。

そういう話ができたり、意見がはっきり言える時って元気な証拠。

 

 

私が最近自分の価値観として気づいたところは、

「時間とお金の使い方」の部分だった。

当たり前かも知れないけど、23歳にして はっ とした。

 

 

何に時間を使うのか、どれくらいなら待てるのか とか

どこにお金をかけるのか、何にお金をかけないのか とか

 

 

結構面白い。

 

 

最近で言うと、自分ではどちらかと言えば気が長い方だと思っていたけど、

思っていたより待てないのだと知った。

もちろん時と場合によって変動はあるけれど、ある程度待ったらころっと気が変わる。気分屋で気持ちが安定しないところが時間を通してわかりやすく表れた。笑

 

 

そういえば、お金の使い方を変えた。

いまは、お弁当をつくる生活にして、食に使うお金を節約してる。

節約と言っても、結局は旅行とか好きなものにお金を使うから貯まるお金に差はない。単にコンビニ弁当みたいなのを受け付けられなくなってきたのもある。

だけど、気持ちも生活も今までよりちょっと好きなものに変化した。

 

 

 

こうして見ると、自分の中ではっきりしてるところが見えてきた。

 

 

 

基本人に合わせて生きられるけど、頑なに譲れないところがあったりとか

怒ることはあまりないけど、こんなにイラっとすることもあるんだなとか

臆病なところ多いのに、変に強気にやってのけることがあったりとか

 

 

 

こういうのは人とたくさん関わらないと見えないところだから

やっぱり人との関わりって重要だなと思った最近だった。

 

 

 

淡々と過ごす時間も多いけど、今ならば言える時もある。

 "Today was good day as well".

 

 

2019.02.12 maru

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くしゃみと品格

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毎年一年の振り返りをするんだけども

去年のことは振り返る機会が多かったから

振り返りは少々、今年について考える。

 

そんな年末年始、実家でくしゃみをしては人に笑われる。

カトちゃんみたいなくしゃみだと。

そんな状況だけども、とりあえず「品」について短めに書き残す。

それが今回のタイトルの由来。

 

 

今年もマイペースに更新できたらと思います。

読んでくださっている方、今年もどうぞよろしくお願い致します。笑

 

ーーーーーーー

 

今年の目標を考えた時一番に浮かんだワードは「品」だった。

つまりは「品のある人」になりたいってこと。

 

「品がある」とは、

人物の言動や雰囲気、装い、あるいは物の風情や佇まいなどに、優雅で洗練された印象を感じるさまを意味する表現のこと。

 

 

社会人になってから、品のある人に会うことが増えた。

年齢の違いもあるのかもしれないけど、明らかに学生の時とは違って見える。

 

「品」にある程度の型はあっても、絶対的な正解はない。

その人の育ってきた環境だとか、センスだとかが見える形で表れてるものだから。

 

 

ならば、どうしていくのか?

 

 

「妥協」を減らした生活をしていきたいと思った。

 

間に合わせの持ち物とか、おなかを満たすだけのごはんとか、

そういうのを今年は減らしていきたいと思う。

 

 

だからこそ、去年できなかった「時間の投資」をする。

学ぶための投資、鍛えるための投資、培うための投資

 

きっと今年はこの3本柱。

 

 

「品のある人」を目指す。

 

 

2019年の目標。

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20190103 maru

人はできない言い訳をする天才だから

 

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ある人がよく使う言葉。

ほんと、その通りなんだよなぁ。

 

それが良い悪い、ではなくて

ただ、わたしもそんな天才のひとり。

 

 

「時間」だとか「経験」だとか

言い訳の種はそこら中にある。

 

 

「~したいけど…」

そんな風に、無理せず無難な選択ばかりが続くと

波風は少ないけれど、何かつまんないと感じることが増えた。

原因は大体自分で、言い訳天才ゆえ。

そんなこと、どこかでとっくに気づいてた気がする。

 

―――――――

 

私が「~したい」と思うことの中に「学びたい」があるんだけども

今の環境で良いと思うことは、

「学びたい」と思えば学べる環境であることだと思う。

 

最近、インナーゲームというものを使って自分を知る研修を受けた。

話を聴きながら、自身の取説を学んでるような気持ちになった。

 

というのも、題名の言葉の一歩手前を学ぶ内容だったから。

 

 

"人は考えすぎず行動した方が結果上手くいく"

 

「考える」ことは大切だけど

「考えすぎる」ことは次第に行動をぎこちなくする

 

極端に言えば、

建物に入り、歩いて椅子の近くに行き、そして座る

建物に入り、10歩で椅子の近くに行き、足をこの角度に曲げ、腰を下ろし、座る…

といったような話。

 

意外と日常の1つ1つもそんな仕組みになっているそう。

 

考えすぎて、ストッパーになるのはもったいないなと思った。

内容が身近なものに例えやすい分、すんなり吸収した。

 

 

―――――――

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昨日は、やたらと"平成最後の夏、最終日"と言われていた。

そんな意識もなく過ごした昨日。

 

昨夜は、数か月ぶりに会った友達と

懐かしい話や最近の出来事について話をした。

美味しい焼鳥を頬張りながら、店で唯一空いていた座敷の席でゆったりと。

 

 

正直、良い刺激を貰った。

セーブをかけていた自分にまた気づいた。

 

全くちがう日常の話に、思わず聞き入った。

趣味も含め、どこで休憩してんの?ってくらいの体力勝負の過ごし方をしてて

その中でもちゃんと遊ぶ時間もあるみたいで

見習おうって思った。

 

 

努力してないわけではないけど、まだまだできることはあるし、

「~したいと思ったらする」の精神を相手が感覚的にやっていて

背中を押してもらったというよりは、私が勝手に心動かされた。

 

 

―――――――

 

だからといっては何だけど、

今日は早く目が覚めたので最近行けてなかったジムに行き

今日と明日の予定はいつもより具体的に立てた。

 

こんな感じで癖づけてみるかな。

たまには言い訳天才にもなりながら 。

 

やって上手くいけば続けるし、

やってみてダメだったら学びにする。

良い方向へ、向かって行きたいもんだ。

 

今行きたい場所は、沖縄と東京と鹿児島。

恋もしたいし、学びたいし、旅もしたい。

一個ずつ叶えたいもんだ☻

 

 

2018.9.1 maru

 

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真実と幸せ軸

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自分よりいくらか年齢が上の人たちと

お酒を交えて話す機会があった。

それぞれのこれまでの仕事とか恋愛とか

そんな話をした。

 

 

 

 

私の中でスーパーマンみたいに思ってる大先輩が壁にぶち当たってると聞いて、驚きを隠せなかったりもした、そんな時間。

その時に言われて1番残った言葉をタイトルに

 

 

 

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言うなら自分が幸せになれるかどうかの選択をしていくといいよ、といったアドバイスをもらった。その場にいた自分ともう1人に向けて。

 

 

 

 

ふむふむ。

 

 

 

 

 

 

引き合いに出した言葉がなぜ「真実」なのか

上手く説明はできないけれど、真実は良いものであり、時に突き詰めすぎると自分で自分を苦しめるものになり得ると学んだから。

 

 

 

完全に真実軸でこれまでやってきたなと思った。

 

 

 

これからもそのやり方はなかなか変えられないだろうけど、幸せ軸の割合をもう少し増やしてみても良いのかな。

 

 

 

 

こうしたら自分が幸せかとか、この人と居たら自分が幸せかとか、ちゃんと考えよって思った。

そうして自分が身を置いた環境で、そこの人たちの幸せに繋がる働きかけをしたいな。

 

 

 

それで良いんだって思った。

 

 

 

大きなベクトルで考えたら、結構単純なことなのかもね。

 

 

 

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これを聞いた後に、長年の友達と居る時の自分を思えば、きっと居心地の良い自分はこれなんだなって気づいた。

 

 

 

 

 

連絡もまめに返さない上にスタンプ1個で返したりするし、連絡取りながら寝てたりするし、その日の気分で話をする。

 

 

根っこがちゃらんぽらんってのは間違ってないかもなと思った。笑

 

 

 

 

それで居ても笑ってほんとくずーって言ってくれるのがありがたいし、あたしも相手にそんな感じ。 良い関係性だなぁと思う。

 

 

 

そういう時間があたしにとっての幸せなのかも知れないと思った。

 

 

 

 

良い人にならんでいいから、幸せな感じをまとった人になろうと思った。

 

 

優しくなりたいと思った時と似てる。

 

 

仲良しの友達に教えてもらったマイメロ精神、ちょっと取り入れようかな。

 

 

 

「難しいことはわかんないし、苺食べたいです。」

 なんてね。

 

 

 

 

2018.8.4 maru f:id:n7smr:20180804112130j:plain f:id:n7smr:20180804112331j:plain

負けんなよって思うわけです

 

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最近ブログ読んでくれる方が増えていて、嬉しいような恐れ多いような、そんな気持ち。文頭でまずは感謝を伝えたくて。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

昔から、人からの相談を不思議と受ける方でした。

話すより聞く方が好きだったからもあるのかと。

それを思えば今は割とおしゃべりになりました。

 

 

 

相談する相手って複数いると思うし、

相談にもいろいろ種類があると思うんです。

 

 

ただ聞いてほしいってだけの話だったり

結構重要な意思決定の前の相談だったり

内容によって相談する人は異なると思うんです。

 

 

最近は、ちょっと大事な場面での相談が多い気がする。

相談する人って私的には結構選ぶもんだと思ってるから、私を相談相手に選んだ人、冷静にチョイスミスです。

 

 

嘘です。なんかありがとうございます。笑

ただ、大した返しもできないのでちょっと心許ない感じもたまにします。

 

 

 

今回は、はじめてのおつかいを観ながら最近もらった相談に共通して思うことを書いてみます。

 

 

 

面と向かってのSOSではなくても、人はちっさなSOSのサインってたまに出てる気がする。自分自身もたまに出してるようです。笑

 

 

 

しんどい時、1人で乗り越えたい人も、人に相談して助けてもらいながら乗り越える人もいろいろいると思うんですが、1つだけ共通して思うことがあるんです。

 

 

「負けなきゃ結果なんとかなる」

 

 

一見、ただの結果論ですが。

 最近相談受けても、ひとこと「負けんなよー」って返すことが多いです。てきとーなつもりはなくて、シンプルにそう思うから。

 

 

 

”負ける”の基準は不確かだし、物事は勝ち負けじゃないと言われたらその通りなんですが、自身の経験上でも、周囲の人の様子を見ていてもそう思うんです。

 

 

私の中の簡単な定義では、「諦める」とか「辞める」が負けではないです。そんなの日常茶飯事のことだと思うから。

 

 

大事なのは、その先やと思うんです。その先で気持ち負けするかどうかは結構大事やと思うんです。その時の判断基準は、誰でもなく「自分」で良いと思います。

 

 

辞めた先、諦めた先でどう行動するか。どう考えるかなんやと思うんです。そこで気持ち負けしなければ大丈夫やと思うんです。

 

 

 

もちろん人を頼ってでも辞めずに粘れるのなら、それはそれで進化すると思います。

選ぶ道はたくさんあるから、自分の気持ちが赴く方に進めば良いのではないかと思います。

 

 

どんな選択をしても周囲にいろいろ言われたとしても、結局はその選択をしなければわからないことなのだから、糧にすれば良いんでないんかなと。

 

 

 

「自分の選んだ道を正解にしていく」

この言葉は慕ってる人からの受け売りです。昔これを聞いた時はなるほどなぁくらいにしか思えなかったけど、いまは結構そう思う。

 

 

「事実は1つ、解釈は無限」

数年前に耳にしたフレーズを今、文字を打ちながら思い出しました。事実に対する解釈って結構大事です。

 

 

 

 

かつかつでも良いから負けなければそれで良しです。終わりよければ全てよし。ちゃらんぽらんと言われても、お花畑と言われても、だってそう思うのだからしょうがないって話です。

 

 

だから、みんな負けんなよって思うわけです。

自分にもついでに言い聞かせるわけです。

 

 

2018.7.17 maru

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「伝える」と「伝わる」

 

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6月最終日の今日。

土砂降りな雨と大きな雷の音で朝早く目が覚めた。

まぁ土曜日なのでしっかり二度寝をしたんだけども。

「It’s raining cats and dogs. It’s thundering, too」

 

 

わたしが日常的に使う言葉の中にこれがある。

「あー、嫌いになりそう!笑」

ちょっと笑って言うのが大事なポイント。

真顔で言うと結構な攻撃力を持つ言葉。

 

 

伝え方を間違えるとちょっと事件。笑

 

 

こんな風に何かを伝える時ってギャップが起こりやすい。

自分と相手はもちろん別物だから、解釈は多種多様。

 

 

ちなみにわたしの使う「嫌いになりそう」は、前提として相手への好きって気持ちがあってのもの。

まぁ、そうじゃないと面と向かって言えないし、何よりきっとシンプルに「嫌い!」って言う。笑

 

 

でもそんな前提なんて自分しか知らない基準だし、それなりの信頼関係あってこそ説明できること。そんな風なやりとりには関わるものがたくさんある。

 

―――――――

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6月を嫌いになりそうだった。

いやもうほんとに!笑

 

まぁ結論としては嫌いにならんかったけどな!

っていう自己完結型の話なんだけども

こんな予定じゃなかったんけどなぁと

思うことが重なって、悔しかった。

 

 

ただ、ちゃんと最後はプラスで締めくくれたので平成最後の6月はちゃんと好きで居られそう。笑

実際悔しいって気持ちが表に出かけただけで、楽しいことの割合も全然負けてないしね。

 

 

6月は手放したというか、送りだしたものが多かった。

「いってらっしゃい」「さよなら」「またね」

 

 

 

あまり簡単なものではなかったけど、それを経て、ちょっとまたいろんな気づきを得た。

 

 

 

そんな風に何かと離れる時は

きちんとメッセージを残す場面があったりする。

「さよなら」なのか「ありがとう」なのか、はたまた「ごめん」なのか。

伝える内容も伝え方も皆それぞれに持ってる。

 

―――――――

 

6月に経験した別れの中で1番残っているのは、自分自身のことってよりも、目の前にあった大切な人同士の別れ。

 

 

一見、傍から見るとケンカ別れに見えていて、お互い抱えた気持ちを伝え切れないままに最期のお別れをしたのかと思っていた。

 

だけど、そうじゃなかったみたいでなんか勝手に安心した。

ちゃんとお互いに伝わってたんだなと。

人間不器用だなとやっぱり思う部分はあるけれど、見えなくとも伝わるものがあるのはきっと魅力。

 

 

 

「伝える」はほんと大切なこと

ただ、「伝わる」ってそれ以上に大切なこと

 

 

これまでは「伝える」を大切と思う方が強かったけど、身近にいる何人かの人たちから

感覚的なものや正確なものとしての「伝わる」を学ばせてもらった。

 

 

 

そんなこんなで今度は7月をしっかり迎えます。

See you June.

Hello July.

 

2018.6.30 maru

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オワリはじまり、小さな覚悟

 

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自分の思うことを書き残す。

今と未来の自分のために。

 

 

そういうコンセプトで始めたこのブログ

書き始めて良かったと思える今。

 

 

大切なことをしっかりと見つめる時間として

やっぱり今日はここに残すことにした。

 

 

ぴんぽんぱんぽん

ぴんぽんぱんぽん

この合図が届き、誕生日をむかえた。

23度目の自分の節目の日。

毎年のことながら、やはり周りの人に感謝する時間だった。

この場を借りてありがとうを改めて。

 

 

自分が今過ごしてる23年の人生はまだまだ先の見えない

何かとはじまりだらけの時間。

もちろんオワリもあるけれど、きっとまだまだ割合は少ない。

 

 

出会いの裏には別れがあるように

物事には反対側に繋がるものがある。

 

そんな風に

「はじまり」の裏側には「オワリ」があって

「オワリ」の裏側には「はじまり」がある

 

 

ほんと上手いこと成り立つようにできてる。

 

 

そんな今、

「オワリ」と「はじまり」それぞれを感じ

小さな覚悟をしてる最中。

 

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いつまで経っても慣れないのは

生と死が関わる別れというもの。

この先もきっと慣れることはないだろう。

 

 

余命。

 

 

あとどれくらい生きられるか。

 

 

 

大好きな祖父の余命を知った。

これもまた受け入れるべき大事な節目の合図だろう。

幸か不幸か、連絡を貰う前に気づいた。

 

 

残りの時間、自分は何ができるだろうか?

数か月前から考えてはいたけれど

思っていたよりもずっと時間はないようだ。

 

「次帰ったらこれしようね」

 

最近は祖父母の家に行くと何か1つ約束を残して来るようにしてた。

そしてその約束を守るって決めてた。

 

その約束は何てことのない日常の一部でも

楽しみに待っていてくれるから。

前より表情の変化も言葉数も少なくなった祖父母に

できることを毎回模索してた。

 

写真を撮る、美味しいものを食べる、

何より顔を見て話すことを1番大切にしてた。

 

 

いざ、あと残りの時間がはっきりした今

自分に出来ることはと考えても考えは固まらない。

ただ、きっとこれまで通りのことを続けるしかないだろうと思う。

 

 

会いに行ける時はほんの少しでも会って顔を見せる。

話をする。傍にいる。

 

 

ちっぽけだなぁと思うけど

後悔のないようにできることをする。

 

 

 

おじいちゃんのおっきな優しい手とか、

姉の呼び方はなっちゃんなのに

なぜか私はナナって呼ばれることとか

おにぎりの握り方はおじいちゃん譲りなこととか

考えるほどいろんなことを思い出していく。

 

 

作業着と青い帽子で力仕事をするのが何より似合うおじいちゃんの存在は

自分には大きすぎて。全然整理できんや。

 

 

 

ただ1つ、漠然と思ったことは今の進路を選んだことに

間違いはなかったということ。

何かあった時、会いに行ける距離 。

ものすごく大切なことな気がした。

 

そう思えてよかった。

 

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2018.6.24 maru